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「ふしぎなキリスト教」大澤真幸と橋詰太三郎の対談
対談形式は好きじゃないので,あんまり読まないのだがこれは面白かった!
どちらも大御所社会学者だから,小難しいかと思ったけど,対談なので良い感じに分かりやすくかみ砕かれている。
いろいろと知らないことが書いてあって面白かったのだけど,キリスト教やイスラムの聖典がどうしてあんなに細かい戒律で溢れているのかというのが一番納得できて私には面白い発見だった。
ひとつの文化を支える宗教を持った民族が,国という塊を失って世界に散り散りバラバラになったときに,それでも人々が固有の文化を忘れずに100年200年と生活習慣を保ち続けるには,あの細かい生活規則が必要なんだということらしい。
例えば日本人では,お正月には初日の出を見て,お参りに行って,着物を着て親族や近隣の人々と新年の挨拶を交わし,おとそを赤か黒の漆塗りの猪口で飲みおせちはどういう材料でどういう重箱にどんな順番で入れ,三月にはどういう手順でおひな様を出しどういう料理を食べ,五月には鯉のぼりや五月人形を飾り道明寺や柏餅を食べ,夏には浴衣を着て花火をやって,結婚式にはどうたら,葬式にはこうたら・・・というのがいちいちすべて決まっていれば,確かに生活習慣として日本文化が失われることはないだろう。
でも,こういう細かい規律を聖典に盛り込むという発想は,国を追われて散り散りになるという運命に遭った民族でないとなかなか出てこない。
だから,最初にこういう戒律を細かく決めた聖典を作ったのはユダヤ民族だった。それを発展させる形でキリスト教が出来たけど,キリスト教はユダヤ教の進化系というよりは二部構成(だから旧訳聖書と新訳聖書がある)で,ユダヤ教の上にその発展系を乗せました,という形になっている。イスラームは,ユダヤ教とキリスト教のいいとこどりをして出来ている洗練された宗教で,聖典もひとつに統一されている。
そして,その系統にのってない,民族が散り散りになったり,そういう脅威にあったことのない日本人には,そういう伝統的生活習慣を守るための聖典を持つ必要がなかったというわけだ。
なるほど。
まあ,そういう聖典がないせいで日本文化にはいろいろ忘れられている行事とかしきたりとかありそうだけど。
対談形式は好きじゃないので,あんまり読まないのだがこれは面白かった!
どちらも大御所社会学者だから,小難しいかと思ったけど,対談なので良い感じに分かりやすくかみ砕かれている。
いろいろと知らないことが書いてあって面白かったのだけど,キリスト教やイスラムの聖典がどうしてあんなに細かい戒律で溢れているのかというのが一番納得できて私には面白い発見だった。
ひとつの文化を支える宗教を持った民族が,国という塊を失って世界に散り散りバラバラになったときに,それでも人々が固有の文化を忘れずに100年200年と生活習慣を保ち続けるには,あの細かい生活規則が必要なんだということらしい。
例えば日本人では,お正月には初日の出を見て,お参りに行って,着物を着て親族や近隣の人々と新年の挨拶を交わし,おとそを赤か黒の漆塗りの猪口で飲みおせちはどういう材料でどういう重箱にどんな順番で入れ,三月にはどういう手順でおひな様を出しどういう料理を食べ,五月には鯉のぼりや五月人形を飾り道明寺や柏餅を食べ,夏には浴衣を着て花火をやって,結婚式にはどうたら,葬式にはこうたら・・・というのがいちいちすべて決まっていれば,確かに生活習慣として日本文化が失われることはないだろう。
でも,こういう細かい規律を聖典に盛り込むという発想は,国を追われて散り散りになるという運命に遭った民族でないとなかなか出てこない。
だから,最初にこういう戒律を細かく決めた聖典を作ったのはユダヤ民族だった。それを発展させる形でキリスト教が出来たけど,キリスト教はユダヤ教の進化系というよりは二部構成(だから旧訳聖書と新訳聖書がある)で,ユダヤ教の上にその発展系を乗せました,という形になっている。イスラームは,ユダヤ教とキリスト教のいいとこどりをして出来ている洗練された宗教で,聖典もひとつに統一されている。
そして,その系統にのってない,民族が散り散りになったり,そういう脅威にあったことのない日本人には,そういう伝統的生活習慣を守るための聖典を持つ必要がなかったというわけだ。
なるほど。
まあ,そういう聖典がないせいで日本文化にはいろいろ忘れられている行事とかしきたりとかありそうだけど。
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